小池一夫×小島剛夕による不朽の名作『子連れ狼』。
乳母車に多銃身砲を仕込んだり、読者の意表をつくような仕掛けや展開が盛りだくさんです。
そもそも、「子連れの刺客」という設定自体がまず奇抜ですね。
でも、よく読んでいくと丁寧な時代考証や、豊富な古典教養に裏打ちされた作品であることがわかります。
今回は、気になる古典からの引用について。
其之四十一(41話)『黒鍬縛樽』で忍者の集団、黒鍬衆が唱えるのは『伊勢義盛百首(伊勢三郎義盛百首)』
まずはこれ。
江戸は北伊賀町、黒鍬屋敷の中で、忍者の集団である黒鍬衆が一心不乱に何かを唱えています。
忍びとて~
道にそむきし~
偸みせば~
呪文のようですが、よく読むと五・七・五・七・七の和歌であることがわかります。
- 忍びとて 道にそむきし 偸(ぬす)みせば 神や仏の いかで守らん
- (たとえ忍であろうとも、道にそむいて盗みを働けば、いかにして神仏の守護が得られようか。)
- もののふは 常に信心 いたすべし 天にそむかば いかでよからん
- (武士は常に信心すべきだ。天にそむいたら、いかに良いことがあろうか。)
- 偽りも 何か苦しき もののふは 忠ある道を せんと思はば
- (偽りも何を心苦しく思うことがあろうか。主君に忠義を尽くそうと思えばこそなのだ。)
これらの歌は『伊勢義盛百首(伊勢三郎義盛百首)』。
忍者の間で古くから伝わる百首の道歌であり、いましめ歌です。
成立の詳しい時期は不明ですが、江戸時代初期の軍学書『軍法侍用集』や、忍術書『万川集海』にも記載があります。
『軍法侍用集』には百首すべてが載っていて、『万川集海』には数首ほど引用のようなかたちで載っています。『子連れ狼』で黒鍬衆が唱える歌はどれも、『万川集海』に載っているので、原作者の小池一夫先生は『万川集海』を参照されたと思われます。
雪のなかで拝一刀・大五郎父子を襲撃する時も、黒鍬衆はしずかに『伊勢義盛百首』を口ずさみます。
影に生き、影に死ぬ。忍者という存在の哀愁が漂う場面です。
其之十三(13話)で慈恵僧上が説くのは、『無門関』『臨済録』など禅籍の言葉
このエピソードのタイトル自体が『無門関』なので、出典は明らかですね。
刺客・拝一刀のターゲットは、慈恵という高僧。
禅籍の言葉がいろいろと出てきます。
仏に逢うても仏を殺し、父母に逢うてもこれを殺す!
このセリフの出典は『臨済録』。
禅の言葉って、カッコいいですね。迷いがない。
拝一刀の刺客道にも、迷いがない。
だから、慈恵を斬ることのできなかった一刀は、その場で切腹しようとします。
そんな一刀に慈恵は「刺客道の無門関に入れ」と説きます。
大道無門 千差路有り 此の関を透得せば 乾坤独歩ならん
『無門関』の冒頭の言葉です。
私はこのエピソードが大好きなので、いつか別の記事で改めて紹介したいです。
其之十一(11話)で拝一刀が説く『寒到来』の出典は甲州流軍学の兵法書
拝一刀のターゲットは、甲州小山田藩の前藩主。
隠居の身でありながら、御家の存続も、領民も顧みずに、城作りに執着する暗君です。
その暗殺を依頼したのは、家臣たちでした。
家臣たちはあえて拝一刀と立ち会い、斬り死にします。
一刀を信用した、前藩主とその側近たちは、警備厳重な城内に一刀を招き入れました。
その方らとて甲州流兵法の真髄
寒到来は知っていよう!
己を味方に斬らしめてまでも屍となり
川あらば屍となって川を埋め
砦あらば己らの屍の山で
同じ高さとなして敵を攻める!
すいません。これは…原典にどう書いてあるのか、とうとう見つけることができませんでした。
ただ、『甲陽軍鑑』を記した戦国武将・小幡景憲が『寒到来』という書物も書いて、それが甲州流軍学のテキストとして、長く使われていたようです。
城を出る時に拝一刀が呟くのは、武田信玄の有名な和歌ですね。これの出典が『甲陽軍鑑』です。
人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり
おわりに
小池一夫先生はおそらく、さまざまな流派の軍学書や兵法書を収集したり、図書館などで研究したのでしょう。
例えば忍術書の『万川集海』などは今でこそ現代語訳や、解説書なども出たり、研究も進んでいます。
しかし『子連れ狼』が連載していたのは1970年代前半。今から半世紀も前のことです。古典籍の専門家でさえ、知っている人はわずかだったと思うのです。
資料探しや考証に、どれほどの手間や時間をかけたことでしょう。
読めば読むほど、調べれば調べるほど、驚きが出てくる作品です。
ちなみに、ここで紹介した3つのエピソードはどれも、連載の比較的前半になります。こちらの新装版でいうと、2巻に『寒到来』『無門関』、8巻に『黒鍬縛樽』が掲載されているようです。
おトクに読む方法を過去の記事でも紹介しているので、興味のある方はぜひチェックしてみてください。
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