谷口ジローの有名な漫画といえば、久住昌之原作の『孤独のグルメ』でしょうか。漫画自体も有名ですが、松重豊主演のドラマも現在シーズン10のロングランを記録しています。
日常エッセイ風の漫画をいろいろと描いている作家で、『歩くひと』『散歩もの』のような作品も私は大好きです。そうかと思えば、非日常〜冒険やロマンあふれる作品もたくさん描いています。夢枕獏原作の『神々の山嶺』『餓狼伝』なども有名ですね。どれも絵が緻密で、バンドデシネ風の構図もキマっていて、叙情豊かで…いちいち非のうちどころがありません。
そんな作品群のなかで、私のベストは『遥かな町へ』。
冒険やロマンがありつつも、日常を丁寧に描いているので、両者のいいとこ取りという感じです。
物語の舞台は鳥取県の倉吉。主人公は48歳の会社員・中原博史。出張帰りに立ち寄った郷里・倉吉の町で突然のめまいに襲われ、目を覚ますと、14歳の時にタイムスリップしてしまいます。そして、その年に家族を捨てて失踪した若き日の父と再会。48歳の心を持った”少年”は、父の失踪を止めることができるのか…!?
これが本作のあらすじです。
「あの時、ああしていれば」という後悔を受け入れる…成長と成熟の物語
皆さんには、「後悔」ってありますか。
毎日全力で、迷わず、振り返らずに生きていれば、後悔なぞとは無縁に過ごせるはず。…でも、そんな人はごくごくわずかでしょう。
特に人生も後半にさしかかると、「あの時、ああしていれば」という苦い感情がこみ上げてきます。
いま話題の「なろう系」…例えばおっさんが異世界に転生して無双するような小説が人気なのも、「あの時、ああしていれば」という後悔の裏返しと言えるかもしれません。
『遥かな町へ』にも「なろう系」のような要素はあります。14歳に戻った主人公は、大人の知識(コブラツイスト)を駆使してケンカに勝ったり、勉強できたり、初恋を実らせたりして、青春を謳歌します。
でも、ギリギリのところで「なろう系」とは違うな、と思う部分もあります。それは結末で、主人公はおそらく後悔を受け入れるからです。そして乗り越えます。
「あの時、ああしていれば」という後悔を抱いていたのは、実は自分だけではなかった。
誰しもがそんな思いを抱きながら、明日をより良くしようと生きている。
そんな事実に気づいた時、主人公の止まっていた時間は動きはじめます。少年のわだかまりを脱して、大人への一歩を踏み出します。
これは成長と、成熟の物語です。
「初めて見るのに、どこか懐かしい」倉吉の風景が、物語にマッチ
主人公の故郷、倉吉の風景がまた素晴らしい。私を含めて大多数の読者にとっては「初めて見るのに、どこか懐かしい風景」だと思うのですが、こういうデジャブにも似た感覚が「あの時こうしていれば、別の未来(世界)もあったかも…」という物語のテーマと絶妙にマッチします。大林宣彦の映画『時をかける少女』で出てくる尾道にも、これは言えますね。山陰山陽には昔ながらの町並みがあちこちで見られますが、そんな町を歩いていると旅愁とノスタルジーに胸が締め付けられそうになります。
こんな町に、いつか来たことがあったような。
こんな町で、過ごす一生もあったような。
そんな、近くて遠い町の物語です。
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