先日『子連れ狼』の記事でも取り上げた『伊勢義盛百首』について興味があったので、もう少し調べてみました。
『伊勢三郎義盛百首』、または単に『義盛百首』とも呼ばれているようです。
そもそも、伊勢義盛とは何者? と思いながら調べると、Wikipediaにちゃんと載っていました。
平安時代後期の人物。もと鈴鹿山の山賊で、のちに源義経の郎党。
忍者の始祖のような存在だったようで。
鈴鹿山といえば、甲賀にもほど近い山ですから、忍者たちにとっては「地元の英雄」みたいな感覚だったのかも。
そんな英雄が詠んだ、忍者の心得を伝える百首の歌こそ『伊勢義盛百首』。
…ということになっていますが、どうもそのへんはフィクションのようです。
実際は名もなき先人(の忍者)たちが、昔から伝えてきた歌なのでしょう。
忍術書『万川集海』に記された、忍者とはかくあるべし(正心)
江戸時代の初めごろの兵法書『軍法事用集』や忍術書『万川集海』に記載が出てくるので、戦国時代の終わり頃には成立していたと、推定されます。
『軍法事用集』には百首すべてが掲載されていますが、『万川集海』には三首だけ引用されています。両方を読み比べてみたのですが、おなじ歌でも微妙に言い回しや送り仮名が違っていたので、大元のところはやはり、口伝なのだろうと思われます。
- 忍びとて 道にそむきし 偸(ぬす)みせば 神や仏の いかで守らん
- (たとえ忍であろうとも、道にそむいて盗みを働けば、いかにして神仏の守護が得られようか。)
- もののふは 常に信心 いたすべし 天にそむかば いかでよからん
- (武士は常に信心すべきだ。天にそむいたら、いかに良いことがあろうか。)
- 偽りも 何か苦しき もののふは 忠ある道を せんと思はば
- (偽りも何を心苦しく思うことがあろうか。主君に忠義を尽くそうと思えばこそなのだ。)
この三首の歌が『万川集海』では引用されています。
なぜこの三首なのか。『万川集海』では、忍者の「正心」ということを取り上げています。
忍者というのは、現代でいうなら諜報員(スパイ)のようなもの。嘘もつくし、偽装もするし、不意打ちもするし、誇りも恥も捨てて逃げる。
武士から見るとさぞ、卑怯・卑劣な連中だったことでしょう。
しかしその卑怯・卑劣も、主君への忠義を果たさんとすればこそ。神仏だけが彼らの真心を知っています。
逆にいえば、忠義や信仰を失った忍者とは、盗人や賊などとなんら変わることがないのだぞ、と。
そんな戒めを、歌にしたものです。
潜入・尾行・見張り…忍者にとって実用的(?)な知識が満載
上記三首は、忍者の精神について述べた歌といえますが、『伊勢義盛百首』の歌の題材は、他にもいろいろあります。
なかでも注目は、潜入・夜襲・尾行・見張り・夜回りの具体的な方法について詠んだ歌の数々でしょう。「なるほど」や「へぇ〜」に満ちています。
例えば、旅行中の注意について述べたこんな歌。
- 大事なる荷物をもてる旅ならば先(まづ)かどせどの道筋を見よ
- (大事な荷物を運ぶ旅ならばまず、宿の表裏の出入口を確認せよ。)
現代の諜報機関のエージェントでも、ホテルへの宿泊時は非常口を確認するようですね。敵の侵入経路の確認と、みずからの逃走経路の確保のためですね。
尾行に関しても、いくつか歌があります。
- とが人の跡をしたひて目つけせば姿をかへて人にしられな
- (容疑者を尾行する時は、変装して相手に感づかれないようにせよ。)
- 一人をふたりのしのびつけ行は敵をはさみてあとさきにいよ
- (一人の容疑者を二人の忍で尾行する時は、容疑者を挟んで前後に一人ずつ配置せよ。)
- 長途は大勢つれてめつけせよかはりかはりにやすまんがため
- (長距離の尾行は、大勢で行うべきだ。交代しながら休むことができる。)
かなり具体的なテクニックが書いてあります。
探偵(興信所)のサイトなどでも、尾行のテクニックとして「変装しろ」「2人で尾けろ」などと書いていますから、実用性は高いのかもしれません。
このテクニックが必要になる場面には、できれば出くわしたくないものですが…。
あと、私が気になったのは、「同士討ち」の危険について述べた歌が、けっこうあったことです。
- しのびえては敵かたよりもどしうちの用心するぞ大事なりける
- (敵地に潜入したら、敵のことよりも同士討ちの用心をすることが大事なのだ。)
- ようちには敵の付入る事ぞ有味方のさはうかねてさだめよ
- (夜襲では(互いの姿が見えないため)敵が付け入る(味方のふりをする)ことがある。あらかじめ味方同士で符牒や合図を定めておけ。)
- どしうちも味方の下知によるぞかし武者のしるしを兼て定よ
- (同士討ちも味方の(誤った・混乱した)命令によるものだ。あらかじめ味方同士で符牒や合図を定めておけ。)
戦国時代の兵法書もいくつか読んでみたことがありますが、そこでも同士討ち(味方討ち)の危険について、戒めた章がありました。ことに夜襲や乱戦の時には頻繁に同士討ちがあったのだろうと思います。戦国時代の空気を伝える歌だと思います。
忍者の信仰(というか迷信)がうかがえる歌も。中世の人々は迷信深かった?
忍者の信仰がうかがえる歌も興味深いです。陰陽道でいう「方違(かたちがえ)」なども気にしていたようで。
- しのび行方角あしき時ならばまづよき方にかどいでをせよ
- (潜入に向かう方角が悪ければ、まず良い方角から出発せよ。)
占いなどでも吉凶を判断していたようです。
- しのびゆく道や門出にけのあらば時日かへつつあらためてゆけ
- (潜入に向かう道や、出発に不吉な卦が出ていたら、日時を変えて出直すようにせよ。)
- 門出にすわりし食にもみあらば夜討しのびの吉事成けり
- (出発の時に食べる飯に、もみが付いたままの米粒があれば、それは潜入・夜襲の吉兆である。)
- 門出の膳なる汁にかげなくばそのよのしのび大事成けり
- (出発の時に味わう膳の汁が、かげりなく澄み切っていたら、その夜の潜入は大事になる。)
- かど出にからすのこえのきこゆるは半なるぞよき丁はつつしめ
- (出発の時にカラスの鳴き声が聞こえたら、その回数が半(奇数)ならば吉、丁(偶数)ならば不吉なので慎重にせよ。)
最初の一首はいいとしても、あとの三首は信仰というより、ほとんど迷信のようなものですね。
でも、生死を賭している忍者たちにとっては、普段の何でもないことが、生死を占う重大事だった。そう考えると、これらの歌は異様な緊張感を孕んでいます。
日本の中世は、忍者だけでなく、武士たち、農民たちも、みな迷信深かったのだと思います。それは日常の「ちょっとしたこと」が生死の分け目になることが、よくあったからでしょう。
山田風太郎 『甲賀忍法帖』との意外なつながり
他に印象に残った歌といえば、「見張り」について述べた歌でしょうか。
- 他国よりくる人ならばしんるいも番所に近く寄べからざる
- (他国より来る人は、例え親類であっても、見張り所に近づけてはならない。)
なぜこれが印象的だったかというと、山田風太郎 『甲賀忍法帖』に、似たような記述が出てきたからです。
そもそも天正伊賀の乱以来、甲賀伊賀には、血判を印した起請文が、それぞれ鎮守の守護神におさめてある。その誓いのもっとも重大なものは、「一、他国他郡より乱入の族これあらば、表裏なく一味仕り妨げ申すべきこと」「一、郡内の者、他国他郡の人数をひきいれ、自他の跡のぞむ輩これあらば、親子兄弟といえども、総郡同心成敗仕り候べきこと」などの条々にある。世にこれを「甲賀連判」ないし「伊賀連判」というが(以下略・黄色マーカーは筆者)
『甲賀忍法帖』はもちろん伝奇小説、つまりフィクションですが、山田風太郎はちゃんと、実際の忍者の文献もあたっていたようです。
「例え親子・兄弟であろうとも、『よそ者』は信用できねえ」という、過酷なムラ社会の掟ですが、裏をかえせば、本当に身内の裏切りや、身内同士の争いが多かったのでしょう。
『伊勢義盛百首』は、忍者の潜入・尾行・夜襲などのテクニックに「へぇ〜」となる一方、過酷な当時(おそらくは戦国時代)の状況がうかがい知れることにも「はぁ〜」と驚きを禁じ得ないものがありました。
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